|
|
![]() |
○柴田明彦様 昭和15年東京に生まれる。昭和38年慶應義塾大学を卒業し、食品会社を経営。20代から有田焼にひかれ、江戸時代の有田焼の歴史的な変遷と、消費地の生活文化の歴史を照合しながら体系的に収集を行う。生産地有田の歴史文化の遺産として末永く保存されるよう、収集品を九州陶磁文化館と大英博物館に寄贈された。 ○柴田祐子様 昭和19年東京に生まれる。昭和42年清泉女子大学を卒業、同年、柴田明彦氏と結婚。昭和48年より貿易会社経営。10代より古美術品にひかれ、江戸時代の有田焼の小品の収集を明彦氏とともに続け、すべてを九州陶磁文化館へ寄贈された。 |
| 柴田夫妻コレクションの解説 |
|
見る者を圧倒する大河のようなコレクション。7,000点を超える江戸時代の有田焼を寄贈された柴田明彦・裕子御夫妻は、お二人とも東京都の御出身で、もともと佐賀県や有田町とはなんの御縁もなかった。 集められたのが有田焼で、それらが生み出された有田の地に帰したいという理由で九州陶磁文化館へ寄贈されることになった。 平成2年に1,076件2,476点を寄贈された。五客揃いの場合は1件5点と数える。1,076件という数字がいかに多いかと言えば、通常の展覧会で展示される件数が150件から200件である。展覧会5回分が一度の寄贈されたことになる。これは、九州陶磁文化館がかつて経験したことのないボリュームであった。九州陶磁文化館にとっては何から何まで桁はずれのことが続いた。 陶磁器が寄贈される場合、九州陶磁文化館ではお披露目の展示を新収蔵品展で行う。一年間で購入したものと寄贈品をまとめて、毎年一つの展示室で紹介する。 ところが、柴田夫妻の寄贈品は、特別展で使う三つの展示室にまったく入りきれなかった。従って、寄贈記念の展覧会が二回に分けられた。また図録がこれまでのものよりはるかに分厚くなった。パート2の展覧会図録はあまりにも厚くなりすぎるため、製本上の問題から分冊になったほどである。 柴田夫妻の寄贈は、一度切りではなかった。パート2展際して208件299点が寄贈され、平成5年には常設展示場の開設を記念して、323件627点が新たに加えられた。その後も寄贈が続き、平成9年にはとうとう3,000件7,000点を超えた。 コレクションを種類別に見れば、全体の6割が染付、3割が色絵、あとの1割に青磁、白磁、瑠璃釉、錆釉などがある。 品種別では7割が皿、1割が鉢、残りは諸口、碗、壺、瓶が続き、他に香合、水指、水注、花入れ、香炉、置物、盃台、盃洗などがある。 コレクションはすべて江戸時代に作られた有田焼である。1610年代から1860年代までが網羅されているが、17世紀後半のものが最も多い、これは柴田明彦氏が収集の初期の段階で、延宝年間(1673〜81年)ごろ成立する柿右衛門様式の作品を好んで集め始め、その後柿右衛門様式成立の歴史的な変遷を明らかにするため、その前後の作品収集を充実していったことに起因している。 深い歴史的な認識による体系的なコレクションは、柴田氏の学術的な研究態度によって初めて成し遂げられたものである。 常設展示室には焼く1,300点が展示されている。総点数の五分の一にも満たないが、それでも見る者を圧倒し、江戸時代の有田磁器の豊かさと歴史の流れを堪能させてくれる。 |
|楽しむ|買う|ひと|新着情報